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みことばとあわれみが共に前進するために、奉仕をどのように整えるか
前回の記事「良い問題と神にかなった解決」に続き、今回の第2回では、執事と長老の協力的な役割について考察します。それぞれに持っている独自の責任がどのように連携し、教会共同体を支え、育んでいくのかを明らかにします。
「私たちが神のことばを後回しにして、食卓のことに仕えるのは良くありません。」この節は、使徒の働き6章に記されている初代教会に起こった問題に関わるものです(使徒の働き6:2)。使徒たちは、助けることを拒んだのではありません。本来の役割から気が散らされることを拒んだのです。彼らが提案した解決策ー教会の実際的なケアを任せるために七人を任命することーは、やがて執事職へとつながり、長老たちと奉仕者たちがどのように協働すべきかを示す手本となりました。
使徒の働き6章1–4節は、教会の秩序について、いくつかの指針を示しています。すなわち、長老たちは祈りと宣教(みことばの奉仕)に専念できるように整えられなければならず、執事たちは、長老たちがその務めを十分に果たせるように、実務的な奉仕を整え、実行するべきだということです。そしてこの役割分担は、単なる管理運営的なものにとどまらず、教会のいのちとも言えるー真理、あわれみ、教え、必要の備え、地の塩・世の光としての証し、祈り、伝道ーを支えるものであり、また、ご自身の死と復活によって教会を奉仕へと整えてくださる、しもべなるキリストを指し示すものなのです。
教会の成長とひずみ、秩序の必要性
著者は、このエピソードを三つの事実から語り始めます。教会が成長していたこと、不満が噴出したこと、そしてやもめたちが見過ごされていたことです(使徒の働き6:1)。成長の影に、ひずみが隠れていることがあります。人数が増えれば、実際的な必要も増え、一部の人が見過ごされるリスクも高まります。ルカは、この不満が文化的な緊張ーギリシア語を使うユダヤ人たちと、ヘブル語を使うユダヤ人たちとの間の緊張ーの中で起こったことを丁寧に記しています。しかし、問題そのものは明らかです。それは、日々の食糧の配給に関する問題でした(使徒の働き6:1)。
使徒たちの対応は、多くのことを教えてくれます。彼らはその不満を、一蹴すべき厄介事として扱いませんでした。むしろ、「弟子たち全員を呼び集め」、共にその問題に取り組みました(使徒の働き6:2)。弟子たち全員を呼び集めたことは、透明性のある対応の模範です。問題は隠されるのではなく、皆の前で共有されることで、教会は一致して行動できるようになるのです。しかし、使徒たちが最初に下した判断は、自分たちが台所に入ることではありませんでした。むしろ彼らは、優先順位に関する原則を示しました。「私たちが神のことばを後回しにして、食卓のことに仕えるのはよくありません」(使徒の働き6:2)。
この一文は、次の三つのことを示しています。
食卓の世話の必要性を認めています。奉仕は重要です。
使徒たちに与えられた明確な召命、すなわち、みことばを宣べ伝え、教える務めを認めています。
境界線を定めています。教会は、みことばに対する第一義的な責任を負う者たちが、その召しを果たし続けられるように、体制を整えなければならないのです。
問題は、奉仕が重要でない、ということではありません。問題は、奉仕が適切に整えられないままでは、教会の霊的生活が脅かされる恐れがあった、ということです。
委任、品性、奉仕の秩序
使徒たちが提案した解決策は、委任でした。 「そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵に満ちた、評判の良い人たちを七人選びなさい。その人たちにこの務めを任せることにして」(使徒の働き6:3)。ここで強調されている点に注目してください。委任は会衆によるものでした。人々が奉仕者たちを選んだのです。選出の基準は品性ー「評判の良い人たち」ーであり、霊的な資格ー「御霊と知恵に満ちた」ことーでした(使徒の働き6:3)。教会は、経歴を第一の基準とするのではなく、評判、霊的な深み、そして実践的な知恵に基づいて選んでいます。
では、使徒たちが「その人たちをこの務めに任せる」と言い、さらに「私たちは祈りと、みことばの奉仕に専念します」と語ったことを、どのように理解すればよいのでしょうか。ここで、「任せる」と訳される動詞と、「奉仕」または「務め」と訳される名詞は、どちらもギリシア語の「仕える」という語群に関連しています。ここで重要なのは、教会の中でそれぞれの務めが正しく整理されることです。つまり、ある人たちは教会の実務的なケアを担い、整える務めに立てられます。一方で、使徒たちは教会において、みことばを公に宣べ伝え、牧会的に監督する働きに専念し続けるのです。
この秩序は、宣教とあわれみの両方を守ります。長老たち、ーみことばに対する第一義的な責任を持つ者たちーが、説教、教育、カウンセリング、祈り、争いの解決、スタッフやチームの監督、伝道に専念できるようになれば、会衆全体がその益を受けます。長老たちが「祈りと、みことばの奉仕」(使徒の働き6:4)に専念するというのは、牧会の働き全体を支える2つの大きな務めに心を注ぐということです。すなわち、祈り(神により頼み、教会と宣教のためのとりなし)と、みことばの奉仕(公にみことばを宣べ伝え、聖書に基づく牧会)を指しています。これらに「専念する」とは、それらを教会の原動力とすることなのです。
長老の役割
長老たちが祈りとみことばの奉仕に専念すべきだというのは、良い出発点です。しかし、この二つの務めには、多くの働きが含まれています。では、そこから具体的にどのような働きが生まれるのでしょうか。新約聖書と使徒の働き6章の論理は、福音が豊かに前進するために、長老たちが担うべき一連の務めを示しています。
・第一に、説教と教え。キリストを公に宣べ伝え、教理を教えることで、キリスト者がイエスの命じられたすべてを知り、それに従うことができるようになります(マタイの福音書28:20)。
・第二に、リーダーシップと方向づけ。長老たちは教会全体に「この道を進もう」という方向を示し、教会の生活が円滑に進むように、チームやスタッフを牧します。
・第三に、牧会的カウンセリング。励まし、正し、必要なときには愛をもって戒めます(Ⅱテモテ4:2)。
・第四に、群れと共にいること。家を開放し、食事を共にし、弟子訓練が行われるような日常的な会話の時間を設けます。
・第五に、争いの解決。分裂の兆しに気づき、積極的に和解を追求します。
・第六に、伝道の働き。長老たちは内向きの務めに終始するわけではありません。パウロはテモテに「伝道者の働きをしなさい」と命じました(Ⅱテモテ4:5)。
・最後に、祈り。長老たちが祈りに専念することは、他のあらゆる務めを支えます。
これらの活動はすべてを網羅しているわけではありませんが、なぜ使徒たちが他の人々に食卓の奉仕を担うよう強く求めたのかがここには示されています。教理を守り、聖徒たちを整え、教会の一致を保つという、教会のいのちに関わる責任には、集中した注意が求められます。長老たちがキリストのように牧会しー導き、教え、祈るーとき、その働きは、キリストが教会のかしらであることを指し示します。そして、教会全体がよく仕えることができるようになるのです。
執事の役割
長老たちが霊的な優先事項を定めるならば、執事たちはその優先事項が実現されるように支える役割を担います。使徒の働き6章は、実践的かつ確固たる執事の働きの形を示しています。これを三つの項目に要約する事ができます。
第一に、執事たちは長老たちから委ねられた務めを遂行します。使徒たちは、委ねられた務めを担う人々を、会衆が選ぶことを期待していました。よく機能している教会では、長老たちが必要を見極め、特定の責任を執事たちに託します。そのためには、互いの役割が明確であることが必要です。長老たちは適切に委ねることを学び、執事たちは、「何が必要ですか」と尋ねることを学ばなければなりません。もし執事が、本来は執事たちが担うべき働きを長老たちが行っていることに気付いたなら、謙遜に、その責任を引き受けることを申し出ることができます。
第二に、執事たちは、教会の中でまだ十分に対応されていない実務的な働きや課題に取り組みます。執事は、主体的であるべきです。もし彼らが、ロジスティクス、もてなし、福祉、建物の管理、音響やメディア、あるいはチームの監督などの実践的な奉仕の必要に気付いたら、集まり、計画を立て、行動に移します。すべての事柄について指示を待つ必要はありません。しかし、牧会的な影響が関わる問題が生じた場合には、長老に相談する用意ができていなければなりません。執事職は受け身の働きではなく、主体性を持って取り組む奉仕です。
第三に、執事たちは、教会の中で生じている牧会的な問題を長老たちに知らせます。多くの場合、問題の初期の兆候―つぶやき、離れていく人々、くすぶる不満―は、人々の近くで仕えている者たちに見えやすいものです。執事たちは、牧会的な洞察を持っています。人々のつぶやきを聞き、最近顔を見ない人に気づき、誰が去ったのか、そしてなぜ去ったのかを知っているからです。彼らはそうした事柄を長老たちに伝え、問題を隠したままにせず、教会が真理と愛のうちに応答できるように助けるのです。
教会生活の七つの柱と執事の役割
教会の使命に対して、狭く偏った理解に陥らないためには、会衆により広い視野を示すことが有益です。新約聖書は、教会生活が、互いに密接に結びついた複数の働きから成り立っていることを示しています。すなわち、真理、あわれみ、教え、必要の備え、地の塩・世の光としての証し、祈り、伝道です。これらはすべて聖書に根ざしています。教会は、「真理の柱と土台」です(Ⅰテモテ3:15)。寡婦や孤児を訪問することによって、「父である神の御前できよく汚れのない宗教」を実践しなければなりません(ヤコブ1:27)。教会は弟子たちに「わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教え」なければなりません(マタイ28:20)。また、「特に信仰の家族に」、善を行うべきです(ガラテヤ6:10)。教会は諸国民にとって地の塩であり、世の光です(マタイ5:13–14)。教会は祈りの家です(マタイ21:13)。そして、あらゆる国の人々を弟子とするように召されています(マタイ28:19)。
執事たちは、これらの柱を支える上で極めて重要な役割を担っています。彼らは、貧しい人々や弱い立場にある人々が見過ごされないように、あわれみと必要な備えを整えます。弟子訓練を育むためのもてなしチームやイベントを運営し、教会が集会を開けるように、建物や財務を管理します。教会が外へ向かって活動し続けられるように、地域社会との関わりや宣教活動を導きます。執事たちがその務めをよく果たすとき、彼らは一致を守り、実践的な奉仕を整え、具体的な必要に応えます。その結果、長老たちはみことばと祈りに集中することができるのです。そして、キリストを中心にして、長老たちが導き、執事たちが実践的な奉仕を担い、教会のメンバーたちも状況をよく理解して共に関わる教会が形づくられるのです。
福音と、サーバントリーダーとしての模範
こうした教会の秩序は、単なる運営上のものではなく、神学的な意味を持つものです。使徒たちの解決策は、福音に根ざした秩序を示していました。彼らは、問題を単なる制度上の処理で片づけようとしたのではありません。むしろ、「仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために」来られたイエスの模範に従ったのです(マルコ10:45)。教会の職務や働きは、キリストが示された、自らを与える愛から生まれるものであるべきです。あわれみを伴わない説教は冷酷なものとなり、真理を伴わないあわれみは感傷に過ぎません。使徒たちは、教会には宣言と実践ーことばと行い―ーの両方が必要であることを知っていました。それによって福音は、ただ聞かれるだけでなく、教会の歩みの中で形となって現れるのです。
イエスが罪人のために仕え、死なれ、そしてよみがえられたからこそ、教会の奉仕は、神の恵みを得るための手段ではなく、キリストがすでに成し遂げてくださったことへの感謝の応答なのです。長老たちは、キリストの御名によって赦しと必要な戒めを語ります。執事たちは、食事を備え、訪問し、具体的なケアを整えることによって、キリストのあわれみを行動で表します。両者は共に、人々を十字架と復活の主へと指し示します。復活の主は、赦された者たちが互いに仕え合う家族として、教会を形づくってくださるのです。
教会秩序の実際的福音
使徒の働き6章1–4節は、食料配給をめぐる争いを解決する以上の意味を持っています。それは、私たちに、みことばを尊び、あわれみを具体的に表す教会のあり方を教えてくれています。使徒たちは、忠実な奉仕には二つのものが必要であることを認識していました。一つは、祈りとみことばの奉仕に専念する長老たちの働きが、正しく整えられていること。もう一つは、実践的な奉仕を整えることのできる、有能な執事職があることです。長老たちが導き、執事たちが仕えるとき、教会はその生活の七つの柱―真理、あわれみ、教え、必要の備え、地の塩・世の光としての証し、祈り、伝道―を支えることができます。そのようにして、教会全体の歩みを通してキリストを証しすることができるのです。
これは福音にとって重要なことです。秩序や愛の実践は、それ自体が目的なのではなく、福音が宣べ伝えられ、目に見える形で示されるための手段だからです。使徒たちの姿勢は明確でした。キリストを宣べ伝え、人々を顧みることです。その結果生まれたのは、福音を語り、また福音を行動で示す教会でした。回心とは、単なる考えの変化ではありませんでした。それは、やもめたちを養い、世界のために祈り、キリストへの従順を教え、諸国民へと出て行く共同体へと加えられることでもあったのです。
これを行動に移すための方法をいくつか挙げてみましょう。
・第一に、長老たちは自分たちの時間の使い方を点検しましょう。自分たちのエネルギーの多くを、祈り、聖書、教え、牧会に費やしているでしょうか。それとも、事務的な業務に時間を取られてしまっているでしょうか。後者の場合は、執事たちに実務的な働きを引き受けてもらいましょう。
・第二に、執事たちは積極的に動きましょう。まだ十分に対応されていない実務的な働きの必要を見つけ、自分たちのチームを集めて、長老たちに計画を提案しましょう。
・第三に、教会のメンバーたちは、心配事を隠したままにせず、適切に共有することを学びましょう。もし不満の声が聞こえたり、交わりが崩れつつあると感じたら、執事や長老に伝え、話し合いを促しましょう。
・第四に、すべての働き(ミニストリー)は、「七つの柱」をどのように支えているかを考えましょう。私たちのイベント、グループ、アウトリーチは、真理、あわれみ、教え、必要の備え、地の塩・世の光としての証し、祈り、伝道を強める働きになっているでしょうか。
・第五に、すべての奉仕は十字架から流れ出ることを覚えましょう。私たちは神の愛を得るために奉仕するのではなく、イエスが私たちに仕えてくださったからこそ奉仕するのです。感謝こそが、私たちの働きを形づくるのです。
使徒の働き6章は、キリストのからだとして成長していく教会の姿を描いています。祈りとみことばの奉仕に専念する長老たち。食卓の世話をし、必要なケアを整える執事たち。真理を堅く守り、あわれみを実践する信徒たち。これは、単なる組織運営の成功ではなく、知恵の実りです。それは秩序ある愛であり、その愛を通して、世界の人々は福音を見て、聞いて、救われるのです。
著者:グレートリー・デイミアン Damian Grateley
出典:https://damiangrateley.substack.com/p/deacons-elders-and-the-work-of-the
